「ふじざくら命水」誕生物語
私たちはウォーターサーバー(宅配水販売)や
富士山の天然水を売るために誕生した会社ではありません。
昔から水が出ないと言われていたこの富士山北麓を
さらに豊かな土地にするために、
約60年前に、この地域ではじめて富士山の水脈を発見。
以来地元にその水を供給してきた会社なのです。
富士山には川が無いこと、
さらに河口湖にも流れ出る川の
無いことをご存じでしたか?
だから富士山の北麓は
河口湖などあるにも関わらず、
昔から水不足に悩まされてきた地域なのです。
意外なことに、富士山には川がありません。富士山は山頂付近では年間降水量が3000mmにもなるという場所。年間22億トンもの水が富士山全域で降っていると言われています。本当であれば、幾筋もの川がその山から流れはじめるはずです。
しかし富士山には雪解けなどのごくわずかな期間を除いて、川はおろか、水の流れ落ちる小さな沢もないのです。というのも富士山の山肌はスコリアという水を非常に通しやすい土壌。このために、大量に降った水は、流れ出すことなく、瞬時に富士山の地中深く吸い込まれてしまうのです。そしてその水が出てくるのはなんと富士山の標高800m以下の地域。ちょうど河口湖あたりの標高以下になって初めて水が出てくるようになるのです。
標高1000m富士山の北麓の裾野に広がる「剣丸尾」という溶岩台地。土の水は即、吸い込まれるために、川も無く、わき水も無く。この地で水を得ることは、この地域の人びとの悲願でした。
そんな中で、きっとどこかに水脈はあると信じ、水を探し続けたのが私たちの会社です。
しかし富士五湖近辺では河口湖はもっとも標高が低い場所。河口湖と富士山の間は「剣丸尾」という標高1000mの溶岩台地が青木ヶ原樹海の手前から河口湖インターチェンジのあるあたりまで広がっています。もちろん土壌はスコリア。ここでも水脈は地中深く潜ってしまい、川も無く、湧き水もなく、普通に井戸を掘ったぐらいでは水が出ることがない場所です。
例えばここには江戸時代「新倉村」とよばれる村がありました。この村は現在の中央高速河口湖インターチェンジあたり。河口湖からわずかのところなのに、台地の上のために水がなく「水なし村」とさえ呼ばれていたのです。そのために新倉村では用水を河口湖から引くことに。でも、このような土壌のため、地表に用水を曳くことが出来ず、地下にトンネルを通して水を引くことを計画します。しかしこの時代、トンネルはもちろん手彫り。そのために、工事はなかなか進まず、なんと約170年間かけてようやく用水を完成させました。そこまでしても水が欲しい。この地域はそんな場所だったのです。
しかしこうして水を得られたのは、台地の一部。「剣丸尾」の多く場所では昭和になってもなお水が無かったのです。ですからこの地域内で水脈を探し出すことは地元の悲願だったのです。そんな時代にこの地域で水脈探しをはじめたのが、地元の私たちの会社です。

荒れ地の溶岩台地を人びとの夢の大地に。私たちの想いに各界の名士たちも賛同。事業の発起人となり、水脈探しが始まります。
そして約2年の苦闘の末、昭和35年ついに水脈を発見。ようやくこの地域は水源を確保することができたのです。
水がないという「剣丸尾」の地中深くにも水脈があることは戦後色々な調査でわかってきました。でも水脈がすぐ見つかるわけではありません。富士山の大量の水が確かに、この「剣丸尾」の下を通り河口湖方面へと流れているのですが、正確にどこを流れているのかがわからないのです。このために私たちの水脈探しはなかなか成功しません。やはり水脈探しは無理ではないかという声も上がります。しかしこの溶岩で覆われた荒れ地の広がるこの台地を夢の広がる大地にしたい。こうした私たちの想いに当時の財界のバックアップもあり、何が何でもこの地域に水を見つけたいという当時の人びとの情熱に支えられ、水脈探しを続行。2年近くたった昭和35年、ついに私たちはこの地域ではじめて水源をみつけることに成功します。以来私たちはこの周辺地域に9つの水脈を見つけ、この地域に水を供給。このことではじめてこの地域を開拓できる環境が整ったのです。
自社水源を得て以来、別荘地や周辺施設に水を供給してきた私たちですが、事業として水を扱うことは考えていませんでした。長く水不足に悩まされてきたこの土地にあった私たちにとって水はまさしく「命の水」。ですから、この水でビジネスを行うことには抵抗があったのです。
しかし複数の水源から水を得られるようになり、せっかくの「富士山からのおくりもの」である水を、この地域だけで受け取るのではなく、もっと多くの方にお届けすることはできないかという想いが募ってきました。そこで、水が味を左右すると言われるクラフトビールを造ることにしたのです。
それが「富士桜高原麦酒」。そしてなんとこのビールが世界のビールコンテストで世界一のビールとなったのです。その後、「富士桜高原麦酒」は世界的な数々の賞を150以上も取ることになります。
このビールが名前を知られるようになったことで、仕込み水である私たちの水も注目され、水そのものを求める声もいただくようになりました。そして水源を見つけてから約60年後、この水をおわけすることにしたのです。しかし、私たちはこの水がこの地域にとってとても大切なことを忘れてはいけないと思っています。この地域にとって、水はまさに命の水でした。こうした想いを忘れないために、私たちはこの水に「ふじざくら命水」という名前をつけたのです。
そして平成25年「ふじざくら命水」は誕生します。
60年間守り続けた、ほんとうの富士山の水を
皆様にお届けするために
